大正9年〜昭和4年頃
大正から昭和にかけて、西洋文化が日本に入ってきました。先進的な女性の間で「断髪」が広まり、おかっぱやボブスタイルは、時代を切り拓くモダンガールの象徴でした。
タカラベルモントは1921年(大正10年)10月5日に鋳物工場として創業しました。初代社⻑の吉川秀信が、「どんな形でも⾃由⾃在に作れる」という鋳物の魅⼒に気づいたことが起源です。
昭和5年〜昭和14年頃
「断髪」の流行と共に、「パーマネント・ウェーブ」の普及がすすみ、「ウェーブスタイル」が流行します。このころのパーマは熱処理が必要で、「電髪」と呼ばれていました。
1931年にタカラベルモントは、理容椅子の製造を開始し、理容・美容分野へ進出します。また、海外との貿易業務にも力を入れています。
昭和15年〜昭和24年頃
戦後の復興に向けて世の中が動き出す時代、空前のパーマブーム(薬液でウェーブを作るコールド・パーマ)が訪れます。海外の映画スターが人気を博し、そのファッションにも注目が集まります。
タカラベルモントは、終戦を機に、他社に先駆けて製造を再スタートします。この頃、理容師法も公布(1947)され、理容師の資格も定められました。
昭和25年~昭和34年頃
「もはや戦後ではない」といわれた高度成長期の時代。欧米へのあこがれが高まった時代で、アメリカのサロンの優雅なウェーブスタイルは羨望の的でした。一方で、女優やモデルのショートヘアへの関心も高まりました。
1950 年頃から、タカラベルモントは販路を大きく拡⼤していきます。「世界は⼀つ。良いものは国や⼈種に関係なく世界中に必要とされている。」この精神は創業時から現代まで貫かれています。
昭和35年~昭和44年頃
東京オリンピックが開催されたり、ビートルズが来日したりした1960年代もショートの流行は続きます。男性の長髪スタイルもブームとなり、欧米スタイルがトレンドを引っ張っていきました。
タカラベルモントは、米国市場への進出から数々の苦難を乗り越え、⽶国の2⼤メーカーの⼀つであったKOKEN 社を1969 年に買収するまでに至りました。また、西ドイツのウェラ社と提携して頭髪化粧品事業にも進出しました。
昭和45年~昭和54年頃
1970年の流行といえば「ボブ」でしょう。欧米から少し遅れてのブームでした。このころ「カットショップ」を名乗る美容室が急増しました。男性もアイロンパーマなどパーマヘアが流行しました。
タカラベルモントでは、70年の大阪万博を機に、機能や品質だけでなく、デザインも製品価値として重視したものづくりをスタートさせました。また、化粧品事業では、自社ブランドのルベル化粧品(現ルベル)を立ち上げました。
昭和55年~昭和64年・平成1年頃
1980年に入ると大人気アイドルのカットが大流行します。その後、「ワンレンヘア」や「ソバージュヘア」へ続きます。男性のスタイルもテレビで人気のヘアが流行しました。
理容室、美容室が共に十数万軒となり、エステ産業も成長期に入ったこの時代、タカラベルモント製品の高機能化が進みます。また、お客様の多様なスタイルに対応したラインナップを拡充しました。
平成2年~平成11年頃
平成に入り、携帯電話が普及しはじめた時代、男性の茶髪・ロン毛や、女性のストレートパーマなどが流行します。90年代中盤からは「カラーブーム」が到来しました。
タカラベルモントは、電子回路を使用した自動洗髪機など、これまでにない製品の開発を意欲的に進めます。この頃、アジア初の世界理美容技術選手権大会が千葉・幕張で開催されました。
平成12年~平成21年頃
21世紀になり、インターネットの利用が進む時代、人気モデルの巻き髪ロングヘアが流行します。また、空前の美容師ブームで、カリスマ的人気を誇る技術者が何人も誕生し、活躍しました。
タカラベルモントは空間づくりと共に、デザイン性の高い製品を拡充します。化粧品でもヘッドスパの提案を進めるなど、新たな領域を開拓していきます。
平成22年~平成31年・令和1年頃
トレンドの流行サイクルが早まる一方で、サステナブル(持続可能)という考え方も台頭します。多様なスタイルが登場する中、“ゆるフワ” な髪型も流行しました。
タカラベルモントは、ものづくりと共にコトづくりにつながる製品・サービスを展開します。また、事業と経営において、サステナビリティへの取組にも注力します。
令和2年~
多様性とグローバリズムの時代は、“New Normal”という大きな転機を迎えようとしています。ただ、「美しくありたい」と願う気持ちは、いつの時代も変わりません。
タカラベルモントは、次なる100年に向けても、
皆さまと共に未来へ進んでまいります。